お米の歴史を噛みしめる秋

稲刈りが終わった田んぼは、
秋から冬へと遷る風景です。

私たちにとって、
たいへん馴染みのあるこの景色は、
日本の原風景ともといえます。

今では、北は北海道から南は沖縄まで、
稲作は普及していますが、
かつては一部の地域でしか栽培できない
貴重な食料でした。

日本におけるお米づくりの歴史は古く、
少なくとも3000年以上前の縄文時代から
稲作は始まっています。

まず、地理的に大陸に一番近かった九州に
稲作の技術が伝わり、
日本のお米づくりは、
九州地方から東へと広がります。

驚くべきことに2200~2300年前には
青森県あたりまで稲作は広がっています。

稲作が広く普及した理由は、
原産地である東南アジアのように、
雨が多く降る季節と
雨が少なく暑い季節が
稲作に適していたということが挙げられます。

また、お米は食味がよく、
長期間の保存が可能であったことも
普及した理由の一つといえます。

主食になるにふさわしい
食料だったのです。

お米は、日本人にとって
単なる食物という枠を超え、
日々の生活様式や風習にも
深く関わる存在となっていきました。

毎年11月23日に、
天皇が秋に収穫した穀物を神様に祭る
行われる新嘗祭(にいなめさい)は、
飛鳥時代に始まったといわれています。

平安時代から伝わる芸能の田楽も、
田植えの前に豊作を祈願して行う
「田遊び」から発達したものといわれています。

現在では
田んぼなど殆どない東京都板橋区にも、
重要無形民俗文化財に指定される田楽が
存在します。

また、名勝負を楽しませてくれる相撲(すもう)も、
豊作の祈願する祭りでした。

相撲の立合いで見られる四股(しこ)には、
大地を力強く踏みしめ、
災いを追い払うという意味があります。

春夏秋冬の中でも、
一番お米が美味しいこの時期には、
日本で暮らす有り難さを
多くの人が感じているでしょう。

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