春分前で日没もまだ早いこの時期は、暗くなった後には
気温もグッと下がるため、ついコートのポケットに
手を入れたまま背中も丸めがちに帰路を急ぎます。
帰宅ラッシュの博多駅は、冬の寒さのせいもあるのか、
皆足早に駅構内を歩いています。
夕刻のこのような時間帯に、友人と久しぶりに
待ち合わせをして、夕食を共にすることにしました。
私の友人Nは、海外赴任の経験も長い物腰の穏やかな紳士ですが、
折衝の際には、外国のビジネスマンも兜を脱ぐほど強引な手腕を
発揮する無頼派だと彼の同僚から聞いたことがあります。
ほぼ一年ぶりに会った彼は、多少白髪は増えたものの、
相変わらず染み渡るようないい笑顔で握手を求めてきます。
ひとしきり立ち話の後、博多駅前のスクランブル交差点を渡りながら、
私の近況を話していると、いきなり彼は踵(きびす)を返し、
渡り始めた方向へ戻りだしました。
突然の彼の不思議な行動に振り返ると、彼は和服姿の老婦人の手を取り、
介助しながら横断歩道を一緒に渡っています。
私は、既に交差点の反対側に渡りきっていましたので、
彼が戻るまで待つことにしました。
再び歩行者用信号が青になると、笑顔で小走りしながら渡ってきます。
私が「お知り合い?」と尋ねると、知らない婦人だとのこと。
聞けば、彼女の歩みでは交差点を渡り切る前に信号が赤になると思い、
彼女が無事に渡り切るまで共連れで渡ったとのことでした。
彼はその老婦人が反対側から渡り始めた時点でその状況を把握し、
危険を予測して咄嗟(とっさ)にその行動に出たのでしょう。
恥ずかしながら同じ状況にいたにも関わらず、それが見えていなかった
自分に恥じ入りましたし、彼の俯瞰で現状を把握する気配りの仕方に
関心もしました。
当たり前のことを意識もせずに行なう素敵な友人は、
格好良く眩しく見えました。
「なぁに、俺達より長く生きている先輩だもの、バックアップしなくちゃ。」
その日以来、私も気がけて通りの向こうで信号が青に変わるのを待つ人の中に、
人生の先輩を見つける「気がけ」をするようにしました。
まだ実践のチャンスこそありませんが、交差点で私が役に立つ日が来ても、
さり気なく手を差し伸べることができるよう心がけています。
人の美しさとは、外見ばかりでなく、
内面からも醸(かも)し出されるものです。
健全なる美しさは、健全なる精神に宿る…でしょうか。
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